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備忘録として・・・

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谷口創さんの指摘であったが、いまクリエイティブに何かを作ろう、または作るための話をしようとなると、作品論ではなくシステムやアーキテクチャの話になりがちだというものがあって面白かった。
これは作品を作るうえで「ジャンルの垣根を超える」とか「何か新しいもの」とか「表現主義的な方法論」とかでは突破し得ない状況がもう少なくとも5年は続いている実感もあってリアルなものであったとともに、最近の思想地図アーキテクチャ特集や東浩紀さんのSNS直接民主制の提唱という、かなり具体的な話に至るまでがとても現在性を伴って行なわれていることからも正当だと思う。

従来型の「何か新しいもの」がすでに「新しく」なく「新しさ」そのものが価値でなくなっているというのはポストモダンの話なのですが、その流れでジャンルや様式をかく乱する作戦は無効になっているのは当然の話で、システムの話がされるのも当たり前といえば当たり前の流れであった。

システムの話と関連して、先日バイト先の美術予備校でKさんと話していたときに小学校で授業中ひたすらRPGとかを自作していたという話を聞いて、そうしたときには手が異常に早く、迷いなく動かせられることを思い出した。
というのも、自分も架空のカードゲームを自作して架空のキャラとシステムを作って、一つの世界観の上でイメージして楽しんでいたことがあったのでこれはすごく楽しかったことがわかる。
(この楽しさは「ダンボールの家を作ること」の親戚だと思う)

そしていまアーキテクチャの話を楽しんでできることは、ゲーム設計の構想を楽しんですることに性質上近いものだと思う。

あと別の人と話していたとき(その当時自分は高校生だったので約2年前?)にこれからは美術家が19世紀以降の個人製作の歴史を終わらせて中世的(な工房制作?)になるという話で、それによって社会的な美術の位置付けも変わるだろうと話した。

こういった話もそうで、作品の話をしてもしょうがないという状況が確かにあって、先日「作りえない状況の中で作りえるもの」みたいな題目でブログも書いたが本当にそういう意味でも「作りえない」ものかもしれない。
それでも方法論を考えるならば、美術制作の悩みの本質が主体の精神状態や知覚とか「アーティストの想い」的なるものから、作品が成立することで生まれる「効果」を「構築」するための「思考」が必然的に求められるようになっているはずだ。

これとも関連して自分は表現主義的な方法論に高3になったばかりの個展が終了した段階でそれを感じていたけれど、それはそれまでの自分の方法論が基本的に「毎日の中で生じる悩み」っぽいものをテーマとして扱っていただけに、その「悩み」が「毎日の中」で解消されてしまったと同時に消えてしまい制作の方法も消えてしまった経験からもきた経験がある。

たぶん作品制作を考える上で作品が成立するシステム論を考えるべきであるという結論には色々なアプローチが存在しうるだろう。。