1st
・私にとって美術とは計量可能な事物からの唯一の離脱としてあるのかもしれない。量や交換とはコミュニケーションや経済を含んだもので、だとするならそれは今の環境の大部分を覆っている。
・だから、美術はけしてコミュニケーションを誘発するツールだったりはしない。芸術は常に交換できない経験であって、例えば私が見たフィリッポ・リッピの「受胎告知」の経験は、決して誰ともコミュニケートできない。あるいは、私の制作の経験は、けっしてだれともコミュニケートできない。
地デジのキャラクター「地デジカ」は、いろいろいじられたが、そのライバル「アナロ熊」にはテーマソングができ、3DのCGと実写を合成した「プロモーション・ビデオ」まで登場した。こんな高度なCGが、素人の遊びでできるようになったのは驚異だ。
日本には連歌や俳諧など、模倣やパロディによって創作する伝統がある。それは農村のタコツボ共同体から無縁(自由)になった人々が、都市でヨコのつながりを作り出すシステムだった。地デジのような「お上」のメディアより、こうしたノマド的なメディアのほうが、実は日本の伝統芸なのである。
多様な観点:状況や問題を表現する方法
多様な解釈:観点を分類したり分割したりする方法
多様なヒューリスティック:問題に対する解を生み出す方法
多様な予測モデル:原因と結果を推測する方法
集合知を4つの組み合わせによる「ツールボックス」として考える。このツールボックスの中身が集団の知能を意味する。衆愚と集合知の違いを、それぞれのツールの数学的モデルも使って説明していく。
もちろん群衆の叡智や多数決が万能という意味ではない。むしろ限定的である。著者は集合知の働く条件を以下のように結論している。
1 問題が難しいものでなければならない
2 ソルバーたちが持つ観点やヒューリスティックが多様でなければならない
3 ソルバーの集団は大きな集合の中から選び出さなければならない
4 ソルバーの集団は小さすぎてはならない
条件1から4が満たされれば、ランダムに選ばれたソルバーの集団は個人で最高のソルバーからなる集団より良い出来を示す。専門の科学者達が解けないでいる問題を、多様なツールボックスを持つ非専門家集団が解いてしまうことがありえる、ということになる。
観点の多様性は特に重要そうだ。本書で取り上げられる法則の一つに「ある問題を解くのがどれほど難しいかは、その問題を符号化するのに使う観点に左右される。」という難しさの主観性の法則がある。複雑に考えすぎていた物事が、異なる観点から眺めると簡単な問題であったときづくことがあるという意味だ。
エリート専門家集団は似たもの同士であるが故に、画一的なツールボックスしかもっていない。構成員が固定観念を避けアイデンティティの多様化を心掛けることで、集合的な知性を飛躍的に高めることができるそうだ。
『ハイデガーが考えた問題、「芸術の本質とは何か」。これを考えるためには、真の芸術作品をよく見ることが必要となる。けれども、ある作品が本当に真の芸術作品であるかどうかを決めるためには、「芸術の本質は何か」をわかっていなければいけない、という具合。「芸術の本質」という問題をめぐって、堂々巡りをするだけ。
こうした循環論法は、一般に不毛な議論とされるが、ハイデガーは、反対に、「強み」だと言う。
私たちが原理的で本質的な事柄を考えるとき、思考は必ずぐるぐる回って最初の出発点に戻ってしまう構造をしていると言う。
だいじなのは、この円環を抜け出ることではない。この無駄と思える思考の運動のなかにあえて跳び込んでいき、「この道にとどまりつづけること」である。それこそ、「思考の祝祭」だと言う。
古代ギリシャのデュオニソスの祭りを哲学のテーマにしたのはニーチェだったが、「思考の祝祭」とは、デュオニソスの祭りのように、狂ったように踊り続けるうちに、次第に陶酔が起こり、その陶酔のなかで新たな知恵が開けるような状態をいう。
「存在とは何か」この本質的な事柄に関わる以上、私たちも思考の円環のなかに跳び込む覚悟が必要になる。』
それは自分たちの職場で感じます。人を楽しませるために自分たちの職業で精いっぱい力を尽くすのではなく、それもやるけれど、ほとんどの時間は他人が作ったものを消費することによって楽しもうと思って生きていますね。
それは僕のような年寄りから見ると、非常に不遜なことであるという風に、真面目に作れという風に、力を込めて作れという風に(感じ)、「すべてのものをそこ(作品)に注ぎ込め」と怒り狂っているわけです。だから全体的なモチベーションの低下がこの社会を覆っているんだと思います。
宮崎 「世界の問題は多民族にある」という考え方が根幹にあると思っています。ですから少なくとも自分たちは、悪人をやっつければ世界が平和になるという映画は作りません。
「あらゆる問題は自分の内面や自分の属する社会や家族の中にもある」ということをいつも踏まえて映画を作らなければいけないと思っています。
「自分の愛する街や愛する国が世界にとって良くないものになるという可能性をいつも持っているんだ」ということを、私たちはこの前の戦争の結果から学んだのですから、学んだことを忘れてはいけないと思っています。
ここで言っている「ヤンキー」とは記事でちょっと触れましたように、ナンシー関の文脈に依っています。「日本人で一番多いのはヤンキーとファンシーである」(「日本人の血からヤンキーとファンシーは消えない」だったかも。どこで言っていたのかは思い出せません)。
いわゆる暴走族系の人やキンパツの人だけではなく、「どんなに頑張っても今いち垢抜けず安っぽい趣味に染まりやすい田舎者」を指しています。ヤンキーとファンシーは結構近いものだと思います。
ラッセンは、そういう人々に(特に)アピールしたのではないかという主旨です。
作品(平面4)画像5点UPしました。 (via 『よけいなことはしすぎるほどよい』 - Windows Live)
found at dezeen art, photography Delicious | Digg It! | Facebook | StumbleUpon | Twitter Posted in art | 1 Comment Maison Martin Margiela Artisanal February 10th, 2009 The Artisanal collection by Maison Martin Margiela is one of the few fashion things I’m interested in. The collection is just a few pieces made by hand, one of one. The garments are always made of unusual materials. Here are few picks from the current collection, you can find the white shoestring dress here. Paper Towel Tuxedo Jacket by Maison Martin Margiela. Hair Comb Short Dress by Maison Martin Margiela. Mask Bolero by Maison Martin Margiela, made of latex hair masks. Plastic Fur Jacket by Maison Martin Margiela, made of plastic garment label fastenings. Shades Of Denim by Maison Martin Margiela art, denim, fashion Delicious | Digg It! | Facebook | StumbleUpon | Twitter Posted in art, design | 1 Comment Birds + Bees Table Light February 10th, 2009 Birds + Bees Table Light by Lindsey Adelman. design, furniture, glass, lamp, light, product design Delicious | Digg It! | Facebook | StumbleUpon | Twitter Posted in Products, design | Write a comment Scintillation February 10th, 2009 This video called Scintillation was made by Xavier Chassaing, a film director from Paris. He used a combination of stop motion (35,000 photographs) and l (via today and tomorrow - Page 30)